毎年恒例の、開運★当り隊は年始からご利益頂戴です。
1月5日、東京日本橋のの「日本橋七福神巡り」を行ってまいりました。
七福神への信仰は、室町時代より始まったといわれ、
500年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んになっております。
日本橋七福神は他所とは異なり、全て神社で構成されており、日本一巡拝が短いという特徴があります。
日本橋通りや人形町通りは江戸下町の伝統を持つ繁華街で、下町情緒に触れながら参拝出来ます。
水天宮は工事中で現在の場所は仮宮でした。新社殿は平成28年4月に完成予定。
今年一年の御利益をかなり頂いて来た気が致します。
水天宮-弁財天
安産・子授のお宮として超有名な水天宮。その成り立ちは、九州久留米藩の有馬公が文政元年(1818年)久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まりです。毎月5日に限り町民にも参拝が許され、当時から多くの人々に親しまれてきた日本橋七福神を代表するお社です。
お像は運慶作と伝えられる「弁財天」がまつられています。水天宮の弁財天は「中央辨財天」と呼ばれ手に琵琶を持たず剣や矢を持つ勇ましい姿。これは人の弱い心を正し導く慈悲の姿といわれています。
屋敷内社として、火風の神、鎮火の神、雨の神また、芸能・弁論・貨殖への霊験があらたかな神様です。有馬頼徳公も願掛けして、能楽のライバル加賀の前田公に勝利した、という逸話が残っています。
笠間稲荷神社-寿老人
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本3大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めました。
寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされています。
末廣神社-毘沙門天
この辺りは元和3年(1617年)に幕府の許可の下、庄司甚右衛門らが葭(よし)の茂る沼沢地を開拓して造った遊女町葭(よし)原(吉原)で、末廣神社はその氏神様として信仰を集めていました。ここに祀られているのは毘沙門様。
多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、又、福徳を授ける神ともされています。
また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められています。
松島神社(大鳥神社)-大国神
明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭(よし)町の芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わいました。
祀られている大国神は、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、破壊と豊穣の神として信仰されました。現在は豊穣の面が残り、大黒様として親しまれています。
11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に遺っています。
茶の木神社-布袋尊
かつて社の周りで、見事に生い茂っていた茶の木がその名の由来です。下総(千葉県)佐倉藩主堀田家の屋敷神として布袋神が祀られています。笑顔が優しい布袋様は、福徳円満と防災の神様として知られています。また、この屋敷内はもとより、町方にも火災が無かったことから、火伏せの神としても信仰を集めています。
小網神社-福禄寿・弁財天
稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した歴史の古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られています。総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、中央区指定文化財。5月の大祭では神社大御輿で賑います。
また、11月末の「どぶろく祭り」は奇祭として特に有名です。
なお、“福禄寿”は福徳長寿の神、また“弁財天”は商売繁盛、学芸成就の神として親しまれています。
椙森神社-恵比寿神
創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社です。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化しました。江戸時代には神田・柳森神社、新橋・烏森神社などと共に「江戸三森」として信仰されました。10月の恵比寿神大祭は毎年大いに盛り上がっています。